被爆70年(2015年)8・6ヒロシマ平和の夕べ
(以下、要旨/文責/見出しとも、「平和の夕べ」事務局)

●平和講演 「核廃絶を、有期限の目標に」
         秋葉利忠・元広島市長

自身の宿題
 空襲を体験し、小学生のころ映画『原爆の子』『ひろしま』などを見た。そのころから、夢と描いてきたことがある。それから60年余。いろいろ総括すると、核廃絶は実現できない夢ではない。
 高校生だった1959年に交換留学生としてアメリカに留学。「原爆投下は正当だった」「パールハーバーが先だった」と教えるアメリカの高校の授業に、大きなショックを受けた。級友や教師に十分な説明、反論ができなかった。そのときから、被爆の実相と被爆者のメッセージを伝える、核兵器を廃絶することを自身の「宿題、目標」として課した。私は東京生まれ、千葉育ちで直接には被爆地、被爆者との縁がなかったが、核問題への出発点だった。
 宿題をやりとげるために、さまざまなことにとりくんだ。その一つが10年間にわたり毎年、海外のジャーナリストを日本に招きヒロシマ、ナガサキを取材してもらうアキバ・プロジェクトの開始。記者たちは帰国してから3本の記事を書くことが条件、内容は注文をつけない。彼らはその後、ヒロシマ、ナガサキに関する多くのすぐれた記事を発表している。

夢から目標へ
 アメリカでは「原爆投下が正しかった」と考える人々が1945年は90%、最近の調査では56%。高いともいえるが、56%に下がったとみれば希望はある。ホロコーストが正しかったという国、政治家はいない。原爆投下も、そのレベルまで引き上げる。夢と目標の違い。期限がつかない目標は、夢に過ぎない。夢に期限をつけると目標になる。日本の外務省が(核不拡散問題などで)よく使う『究極的目標』などという用語は、条約を無力化しようとするもの。被爆70年を考えるとき、大切なのは何よりも、その実相と被爆者のメッセージだ。

ヒバクシャの抑止力
 1999年、広島市長に当選。非被爆者の市長として、次のような8月平和宣言を発表しました。
 「生きることすら絶望的だった被爆者が生きてその体験を伝え、3度目の核兵器使用を防ぐ力になったこと。復讐や敵対ではなく『この体験を、他の誰にもさせてはならない』という哲学をつくり出したことに感謝の念をもつ。ヒバクシャの抑止力を劣化させない」。 最初に”ヒロシマ”を発信したジョン・ハーシーは、「核を抑止する力を持っているのは、被爆者」と言った。しかし、体験を伝える被爆者は、年々少なくなっていく。
被爆体験をデジタル化し、劣化させず伝達していくことが大切です。いわゆる「デジタルでの記録」という意味ではなく、知的にも情緒的にも整理し「本物と同じもの」「被爆体験者でなくても、同じレベルで伝えていくことができる」という記録、内容をつくっていく。 ホロコーストと同じレベルでヒロシマ・ナガサキが理解されるのも、目標の一つ。「わが国の安全保障のためには、強制収容所を持つ」とは誰も言えない。核は、そうではない。ヒロシマ、ナガサキの後、米軍はプレス・コードにより報道を規制した。とくに最初の10年、原爆の惨状、被害、事実について日本国内はもとより、世界に知らせなかった。原水爆実験の一方で原子力の有用性(平和利用)などが宣伝された。事実を知らない、間違った認識が広がった。
 学問的な整理と共通認識を学び継承する「広島・長崎講座」を大学に働きかけてきた。協力する大学は現在国内で48、海外で17と増えている。

核廃絶に期限を
 今年のNPT再検討会議について「最終文書が採択できなかった」「各国のリーダーに広島にきてもらう努力をしたが、実現できず」「前進がなかった」という報道があった。こういう報道では本質がわからない。1995年、核保有国は無期限延長で条約を無力化しようとした。しかし2000年には「核兵器廃絶はすべての国の明確な約束」という言葉で最終文書ができた。多くの人が期待したが、2005年、最終文書は採択できず。2010年に採択されたが、期限をつけない(究極目標とか)約束にごまかされた。今期は核廃絶を求める国や市民社会が、期限を入れるよう迫った。期限を求める人たちがいる、という程度は言及された。NPT再検討会議は「採択されても何も進まない」「問題点を明らかにする」という経緯が続いてきた。満場一致だから1国でも反対すれば採択できない。しかし、それは一握りの国。世界の圧倒的多数の国が核廃絶を強く求めている。イスラエル、アメリカの構造的問題が大きい。各国首脳を広島へ。 「中国がブロックしたから」というのは、外務省のアリバイ作りに等しい。
ほんの一握りの国が核を保有し続けると言っている。世界規模での民主主義からほど遠いところにあるのが、いまの状況だということ。しかし、歴史を見るともっととんでもない政治がたくさんあった。そのひどい政治から、曲がりなりにも民主的といえる国が多数になってきている。世界の大多数が核兵器廃絶を求めているのだから、その意志にもとづく行動を世界的につくる。今回の不採択を、そのように受けとめよう。

情けない日本政府
 この1年、さまざまな動きが進展している。マーシャル群島共和国が核保有国9カ国(米・ロ・英・仏・中・印・パ・イスラエル・北朝鮮)を、NPTを根拠に核廃絶へ交渉するよう国際司法裁判所に提訴した。スコットランドの独立を問う国民投票がおこなわれる。スコットランドはいまでも大きな自治権を持っている。投票には、核兵器の廃絶という目標があった。スコットランドのファスレーンにイギリスの核原潜基地がある。「独立したらNATOに入らない、核兵器は破棄する」としていた。そうなればイギリスは他に基地を置くことはできない。
 イギリスの核兵器が置かれているスコットランドが、鍵を握っているのが分かった。国民投票で過半数を取ったら、実際にイギリスも非核保有国になる可能性がある。そういう重要な内容を国民投票によって決めるというところまで、核廃絶運動は成熟していると見るべきだろう。
 情けないのは日本政府である。2013年ニュージーランドが提案した核兵器不使用の共同声明に、あれこれ理由をつけ署名せず。厳しい批判にあい、その後ようやく署名した。2014年、オーストリアがニュージーランドよりも踏み込んだ提案をおこなった。日本は、いまだ署名していない。ヒロシマ、ナガサキの重みと歴史は、自民党政治よりも優先する。核廃絶を、夢や一般論ではなく、有期限の目標にしたい。

(2015年8月6日、文責・「平和の夕べ」事務局)
会場の様子