チラシ2018年版表 チラシ2018年版裏
2018年8・6ヒロシマ平和の夕べ
(以下2018年8月6日、要旨/文責/見出しとも、「平和の夕べ」事務局)
●平和講演 「原発・核と戦争を推し進める愚かな国、日本」
小出裕章さん 
小出裕章さん  ここに来る前に平和公園、資料館に行ってきました。あらためて、風化させてはいけない、忘れてはいけいないとの思いをもって、ここへ来ました。
 私が原子力に夢をもったのは、1968年。原爆は大変恐ろしいものだが、その力を人類の平和のために使いたいと強く思い込み、原子力発電をやりたいと思い大学にいきました。人生の最大の誤りでした。それに気づいてからは、大きな事故が起きる前に何としても原子力発電を止めようと、人生をそれにかけてきましたが止めることができませんでした。 福島・原子力発電事故です。たくさん人たちの生活が根こそぎ破壊されている。本来そこに立ち入ることすら許されないという放射能の汚染地帯に何百万人の人が住む、そういうことが進行しているのが日本です。
 原子力発電をおこなったことが間違い。日本は原子力の平和利用をかかげながら、核兵器をもつ力をつけるということをやってきた。(戦争はしないという)憲法があるのだけど、ないがしろにされ戦争に向かっている。神経をとぎすまして歴史に学び、戦争の道を止めなければならない。
 「原発と戦争を推し進める愚かな国、日本」という本を出しました。ドイツのアウシュビッツの収容所で殺戮された人々は6百万人とも言われています。その歴史を受け、ドイツでは、「自分たちは何をしたのか」考えなければいけないと、ナチスの戦争犯罪を追及し続けています。ヴァイツゼッガー大統領は戦後40年のとき演説し、「問題は過去を克服することではない。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにいかない。しかし、過去に目を閉ざす者は現在を見ることができない」という意味の問いかけをおこなった。広島、長崎を経験した日本はどうか。
 8月15日、日本では終戦記念日。韓国では光復節、光が戻った日。私は、朝鮮と言いますが、祖国解放記念日、侵略戦争から解放された日となっています。終戦記念日は、私は違うと思う。正しくは敗戦記念日。アジアの人々を何千万人も殺し、日本人も3百万人が死にながら戦争を続け、徹底的に負け無条件降伏した。「終戦」という歴史の総括はありえない。戦争責任の追及はおこなわれてきたか。戦争中は、1億総火の玉となって鬼畜米英を撃滅せよと教育され、すべてのマスコミがそれに加担した。敗戦を受け、今度は一転して米国の民主主義が賛美され、マスコミもいっせいにそれに倣った。ただ強いものに従っただけ。大日本帝国より巨大だった米国は、戦後日本を支配するために天皇を利用する道を選んだ。結局のところ、日本は戦争責任をいまだに考えずにきている。
 そして原子力発電。当時どう描かれていたのか。1954年7月2日の毎日新聞。「原子力を潜在電力として考えると、まったくとてつもない。石炭などの資源は今後、地球上から次第に少なくなっていく。このエネルギーのもつ威力は人類生存に不可欠といってよいだろう。…電気料は2千分の1になる」。原子力はウランを原料としている。しかし、地球上にウランはそんなに存在していない。石油、石炭に比べても少ない。また、「原子力発電は火力発電のように大工場を必要としない。…山間へき地を選ぶこともない。ビルの地下室が発電所ということになる」。こんな時代だったのです。しかし、原子力発電には膨大な危険が潜んでいると専門家はわかっていたから、都会には建設されなかった。
 そして、福島原発事故が起きた。1、2、3号機が運転中。地震と津波によって全電源を喪失、核燃料が溶け落ち、停止中だった4号機からも膨大な汚染が放出された。7年5カ月の今も、どうなっているかわからない。火力発電所であれば事故の後は入って調べることができるが、原子力発電所はできない。どれだけ汚染されたか、IAEA=国際原子力機関(私は悪の親玉と言いますが)に報告した日本政府の資料にあります。広島・長崎の原爆も恐ろしい放射能を撒き散らしたが、福島事故により大気中に放出されたセシウム137の量・ベクレルは、広島原爆の168発分。さらに、今も放射能で汚染した水をどんどん海に流している。
 福島原発事故の周辺の人々は、10万人が強制的に避難させられました。手荷物だけ、ペットの犬も猫も捨てていった。酪農家、畜産家は牛も馬もみんな捨て自分だけが逃げるしかなかった。はじめは体育館、避難所、それから仮設住宅。家族も地域の繋がりも、バラバラにさせられた。災害復興住宅に入っても事故による、生活の分断は続いています。
 福島県の中通り東半分を中心に宮城県、茨城県の南部・北部、さらに栃木県、群馬県の北半分、千葉県、埼玉県と東京都の一部地域が汚染を受けた。私は3年前まで京都大学原子炉実験所で働いていました。私のような放射能を扱うものを放射線業務従事者、放射線を扱う建屋を放射線管理区域と言います。管理区域に入ると、水を飲んではいけない、食べ物を食べてはいけない、寝てもいけない、トイレ設備がないから排泄さえできない。つまり生きることができない場所が放射線管理区域。だから普通の人が入ってはいけないと法律で定められています。私が仕事を終え放射線管理区域からでようとすれば、きちんと汚染を計らなければ出口のドアが開かないシステムです。どれぐらいの汚染であればドアが開くか、1平方メートルあたり4万ベクレルです。これを超えると他の普通の人を被爆させてしまう、それが基準。福島県の中通りでは6万から10万ベクレル、違う区域では10万から30万ベクレル、60万ベクレルと汚染されている。どうしようもできない。
 国・政府は事故当日に「原子力緊急事態宣言」を発令した。「今は緊急事態。今までの法律は到底守れないと、放棄した。本当は放射線管理区域にしなければならないのに、何百万人がそこに置かれてしまった。今も原子力緊急事態宣言は続いています。日本は法治国家といわれ、国民が法律を破ると国家が処罰する。それなら法律を守るのは、国家の最低限の義務である。法律には一般人は1年間に1ミリシーベルト以上被爆させてはいけないとなっている。1平方メートルたり4万ベクレルを超え管理区域外に持ちだしてはならないという法律がある。それが全部放棄されてしまった。福島原発事故を起こしたのは直接的には東京電力ですが、原子力発電をやらせた日本の国に最大の責任があると思っています。
 原子力緊急事態宣言はどうなるのか。100年たっても解決しない。セシウム137という物質は100年たっても10分の1にしかならないし、放射線管理区域は膨大に残ります。福島原発事故は破局的な被害を生じている。即刻全部やめるというのが、私の得た教訓です。しかし、推進してきた国、電力会社が得た教訓は全く違う。どんな悲惨な被害を出しても、誰も処罰されない。処罰されないなら、再稼働し儲けようとなる。
 私は、事故の責任を明確にすることがとても大事なことだと思っています。日本では、これまで57基の原子力発電所が建てられた。そのすべては、自民党政権が「安全性は確認した」として建てられた。そして電力会社、原子力産業、ゼネコンをはじめ学会、裁判所、マスコミ、すべてがグループになって原子力を進めてきた。そして事故が起きた。原子力マフィアには重大な責任があるが、誰1人として責任を取っていない。日本が法治国家というのであれば、彼らを徹底的に処罰する必要がある。「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」。ドイツのようにやらなければならない。
 原子力を進める本当の理由は、証拠を示せと言われればたくさんあるのですが、そのうちの一つを紹介します。外務省の幹部は、「個人としての見解だが、日本の外交力の裏付けとして核武装の選択の可能性を捨ててしまわない方がいい。保有能力はもつが当面、政策として持たないという形でいく。そのためプルトニウムの蓄積とミサイルに転用できるロケット技術は開発しておかなければならない」。プルトニウムは長崎に落とされた原爆の材料である。日本では、着々とその二つの準備を進めてきた。
 今、国連の常任理事国のアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国は核保有国であり、その核保有国が世界を支配している。5カ国は核兵器製造の中心3技術、ウラン濃縮、原子炉、再処理をすべて保有している。そして核不拡散条約と国際原子力機関・IAEAを作って核の独占を謀り、他国にその技術を持たせないようにしてきた。その網を食い破ってインド、パキスタン、イスラエルが独力で核兵器開発を進めてきた。朝鮮民主主義共和国は作ったと言っているが、私は懐疑的です。核兵器保有国ではなく中心3技術をすべて保有している国が世界に一つだけある。日本ですね。
 悲惨な福島原発事故がおき、なぜやめることができないのか。やめられない本質的な理由。石破さんという自民党の代議士が、安倍さんに対抗して総裁選に出る。私は安倍さんが大嫌い、負けてほしいと思いますが、この石破さんも大変危険な政治家。安倍さん以上かもしれません。その石破さんは「原子力発電というのはそもそも原子力潜水艦から始まった。日本以外すべての国の原子力政策というのは核政策とセットです。けれども日本は核を持つべきだと私は思っておりません。同時に、日本は(核を)作ろうと思えばいつでも作れる、1年以内に作れると。それは一つの抑止力でしょう。それを放棄していいですかということ。それこそもっと突き詰めた議論が必要。私は放棄すべきだとは思わない。なぜなら日本の周りはロシア、中国、北朝鮮、そしてアメリカであり、同盟国であるか否かを捨象して言えば核保有国が日本を取り囲んでおり、弾道ミサイル技術をすべての国が持っていることを忘れるべきではありません」と言っている。原爆とミサイルをやめてはいけない、原子力発電は必要と言っている。私は正直に言っていると思う。やめない理由はここにある。
 今、マスコミで大きな問題となっている朝鮮戦争は終わっていません。1950年に開戦、親、兄弟、親族、民族が殺しあった。1953年、終戦ではなく休戦協定が結ばれた。朝鮮戦争は、いまだ休戦状態。65年間、戦争状態が続いています。朝鮮民主主義人民共和国が核兵器を作ったと。核兵器を作るためにはプルトニウムという材料、原子炉が必要です。原子炉というのは発電の道具と思うかもしれませが違います。原子炉はプルトニウム、原爆の材料を作るためのものです。私が働いていた京都大学実験所の原子炉が5MWt(メガワット)です。日本は平和利用と言いながらプルトニウムを作ってきた。いま日本にある原発の総量は(2018年現在、稼働できる原発は35基、3432万KWe、10.3KMWt)です。朝鮮民主主義人民共和国の原子炉があるのか、25MWtで小さなものです。米国を相手に65年間ずっと戦争をやってきた。米国が保有している核兵器の量500万キロトンに対し朝鮮は100キロトンに過ぎません。安倍さんは、この朝鮮に圧力をかけ続けています。
 他人に核兵器を持ってはいけないと言うのであれば、自分も持ってはいけない。核の傘に隠れてもいけない。米国の属国としてひたすら強いものに媚び、弱いものには徹底的に居丈高になる国、それが日本。本来なら朝鮮半島の南北分断に最大の責任がある日本。朝鮮戦争の終結のために、誰よりも責任を果たすべきです。米国と朝鮮が歴史的な対話はじめたというときに、安倍さんは徹底的に圧力。本当に情けない国です。
 日本には憲法9条があり、宝だと思います。その憲法があっても日本は、戦後一貫して米軍の支配下にある。1946年11月3日、日本国憲法公布されました。翌年の5月3日に憲法施行、9月20日に天皇は沖縄メッセージを発した。沖縄は日本と切り離して米軍が支配してくれ、沖縄を犠牲にして天皇と日本が生き残るということをやった。52年4月28日、サンフランシスコ講和条約、日米安保条約、日米行政協定が同時に発効した。60年6月23日、日米安保条約が改定、発効し、日米地位協定が発効しました。被占領国であった日本は、サンフランシスコ講和条約が発効し独立国となっても日米安保条約と行政協定に縛られて米国の属国であった。
 歴史は、継承されなければならないと思います。かつての戦争の時、大多数の日本人は戦争に協力した。 騙されたと言い訳をする人もいる。もちろん大本営発表しか流されなかった。歴史の大きな流れの中では、戦争を止めることは誰にもできなかった。国家によって殺された人もいた。しかし、ごく普通の人々が戦争に反対する人を非国民と呼び村八分にし、殺していった。
 安倍さん率いる自民党は何をやっているか。特定秘密保護法をつくり、武器輸出禁止3原則を撤廃し、集団的自衛権を容認、共謀罪を創設、沖縄辺野古基地を強行し、そして憲法改悪と戦争の道を進めている。原子力基本法も改定され、「安全保障に寄与する」ことが原子力の目的とされた。安全保障というのは軍事用語、つまり核兵器をつくるために原子力をやるんだということ。そういう時代。
 ヒロシマ・ナガサキを継承し、沖縄と朝鮮を犠牲にする歴史をやめなければならない。そのためにも、一人ひとりの責任で考え行動する。もし自分の身に危険がふりかかってきた時には、もう止められません。私は、現在まったくフリーです。警察にも捕まってはいません。そうであるならば今、声をあげなければ、間に合わないと思います。皆さんも、そう思っていただければ…。
会場の様子
●被爆証言 「植民地支配、戦争、原爆、差別」
李鐘根さん 
李鐘根さん  在日二世です。1928年、島根県氷見生まれ。小学生からは、広島・吉和で育ちました。親が教えるんですね、朝鮮人だと。6年生のとき、おじさんに道端に立たされ小便をかけられた。じっとガマンしかなかった。家に帰って話しても父親は「無言」でした。それぐらい、酷い差別構造があった。
 機関車の運転手に憧れ鉄道に就職しました。採用通知には「江川政市」という日本名が書かれ、備考欄に朝鮮人と。朝鮮人は、創氏改名させられ文化も否定されました。廿日市から国鉄で広島駅まで通い、少し歩いて第2機関区の職場に行きました。
 8月6日の朝、服装で母さんと揉めいつも乗る電車に乗り遅れ、宮島線に乗り、爆心地を5分前に通過し、的場町で降り橋を渡った時に閃光。黄色とオレンジ色で町が燃えました。訓練でやっていたように目、耳を押さえ伏せた。熱線、爆風は凄まじかった。そばにいたおじさんが「お前の顔真っ赤、ヤケドしとる」と、気がつくと服を着てないところすべてやられていた。山陽線の踏切で爺さん、婆さんが「この下に子どもがいるんじゃ、助けて」と叫んでいましたが、16歳の私は何もできません。ようやく職場、機関区に行くと同僚が「江川、生きとったか。ヤケドしとるやないか」と機関車のオイルを塗ってくれたが、痛うて痛うて。
 昼、防空壕の中でまずい弁当を食べた。福島の子どもたちと交流したとき、「おじさんその弁当を食べたの」と聞かれた。放射能の知識はなかった。同僚4人と迂回し家に帰ることに。街は焼けただれた人の死臭でたまらないぐらい臭かった。旧広島大学のところを通った。馬が塀の下敷きになり、死骸から目が飛び出していた。橋のたもとに、焼けただれた多くの人が「助けて。水を下さい」と言いながら、焼けてドロドロになっていた。地獄があるのなら、これが地獄だと思いました。
 家に帰ると、両親は私をさがしに広島に行ったと弟とが言う。父さんは翌日の夜、帰ってきましたが食べ物は吐く、下痢をする。母さんは、途中で焼けただれた人の行列を見て家に引き返し。母さんは、私をみるなり「生きとったか」といって抱きついてワイワイ泣きました。その後、鉄道病院の分室に行き「赤チン」をもらい全身に塗りました。赤チンを塗った後に、カサブタができ、それを取ってまた塗るですがそれが痛かった。体の表側は全部塗れたが、裏側は半分しか塗れず。ヤケド跡が腐ってものすごく匂う、普通のヤケドではそうはならない。そこにハエがたかり、ウジ虫がわいた。「髪が抜けたら死ぬ」といわれていた。日本のおばあちゃんが、これをつけなさいとごま油を持ってきてくれた。私はごま油を塗って助かりました。そのおばあちゃんがいなければ、生きてはおらず、皆さんの前で話すこともできなかった。その後、日赤の看護師さんの話によると、「体中にウジ虫がわいて死んだ人がいっぱいだった」。その話を聞いたのが、6年前です。それから証言を始めました。
●沖縄から 「核を持ちこませない、辺野古新基地は止める」
安次富浩さん
安次富浩さん  「辺野古新基地建設の動きの最初は、浜のテント沖リーフを埋め立て2000メートル滑走路を造る構想だった。そのときはヘリポートだった。だからヘリ基地反対協です。97年、私たちは住民投票で反対の結果をかちとった。しかし、政府は私たち名護市民の声を聞くことなく、ヘリポートから沖合いに2000メートルの基地をつくることに転換した。当時は小泉首相。稲嶺・沖縄県知事は15年使用期限付き、軍民共用という提案をした。岩国と同じですね。小泉首相はこれを一応聞いたけど、実際にアメリカには言わない。私たちは、これにもカヌーや漁船などで抵抗し、沖合い基地建設を止めた。次に出てきたのが今のV字滑走路計画です。最初はL字だったのですが、地元住民に苦慮して沖を含めたが、私たちの反対を考え沿岸案に戻りV字にした。後でわかったことだが、新しい飛行場を造るには滑走路から2キロ以内に高さ50メートルの建物があってはならないことになっており、それを隠してきた。近くにある国立高専の建物は例外扱い、高台にある集落の住宅も特別規準で除外する。沖縄電力の送電塔は国の費用で移転する。移転するとなると費用がかかるから。こういうことを平気でやるのが、いまの日本政府ですよ。まだ、問題がある。大浦湾には通称マヨネーズ地盤という所があることがわかった。杭を打つと砂地でもふつうは止まる。ところが、ここは底なし沼のように沈んでしまう。そんな所に堤防を造ろうとしている。さらに政府が隠してきたこと、予定地に断層が2本も走っている。政府は、すべて沖縄県民を騙して新基地を造ろうとしている。小泉首相は、1兆円かけて15年使用期限などとんでもないと言った。これまででも7000億円かかっている。造れば2兆円を超える。これは全部が日本の負担、つまり私たちの負担ですよ。これも報道されない。
 広島、長崎との関係で明らかにしなければならないこと。3月の東京新聞、アメリカの「憂慮する科学者同盟」のグレゴリー氏が「オバマ政権時の2009年、小型核兵器を沖縄に配備することに暗黙の了解がある」と報じた。事実なら日本政府が掲げる非核3原則に反する。辺野古の大浦湾側に240メートルの埠頭をつくることになっている。200メートル以上の艦船が接岸できる。いま、沖縄には直接に弾薬等を陸揚げできる基地はない。いったん揚げてトラックで運んでいる。辺野古にそういう埠頭ができれば、こっそり核兵器を運ぶことができる。いま辺野古弾薬庫の改修工事をやっている。核兵器貯蔵を目的にしているのではないのか。復帰1972年の前は、辺野古弾薬庫には毒ガス兵器、核兵器があった。周辺にヤギとかウサギを飼っていた。事故があればまず動物が死ぬようにしていた。それがわかって抗議、撤去運動が起こった。それで辺野古には毒ガスも核もないことになった。でも新基地が建設されたら、また核が持ち込まれる。オバマも佐藤栄作もノーベル平和賞。佐藤は「有事の際、沖縄への持ち込み」をオーケーした。ノーベル平和賞にも裏がありますよ。辺野古沿岸側の埋め立て工事が始まる前に、翁長さんが「埋め立て承認撤回」を表明した。8月17日に土砂を投入するということに「傍若無人だ」と強い憤りを示した。
事態は緊迫している。オール沖縄で、知事選にかならず勝つ。小出さん、避難者のみなさんのお話を聞き、あらためて「日本政府を信用するな」と言いたいです。辺野古の現場、海でもゲート前でも非暴力直接行動を強める。辺野古に新基地は造らせない。韓国のろうそく革命を見てください。民主主義を自分たちの手で掴んだ。日本は、まだこれからだ。沖縄は、反・脱原発運動と共同する。平和的生存権は、私たちがつくる、沖縄の未来は沖縄が拓く。