チラシ2019年版表 チラシ2019年版裏
2019年8・6ヒロシマ平和の夕べ
(以下2019年8月6日、要旨/文責/見出しとも、「平和の夕べ」事務局)
●平和講演 「〜人間の根源に対立する核〜 核兵器、原発廃止を共同の運動に」
河合弘之さん 
河合弘之さん  私は弁護士になってから、いわゆる企業弁護士としてやっていた。しかし、一生それでいいのかと反省した。社会に貢献できることは何か、よりよい環境を後世に残すには。そう考えたとき原発の深刻さにたどり着いた。原発は、処理できない膨大な使用済み燃料を残し続ける。一たび事故を起こせば、大変なことになる。そう考え、25年ほど前から原発問題にとりくんできた。さまざま裁判もやったが、負けばかりの20連敗。もうだめかなと思い始めたとき3・11だった。
 全国での反原発、運転差止裁判を手がける
やっぱりそうだった、大変な事態だ。脱原発訴訟をやっていた弁護士に「事故をみた裁判官も変わるはずだ、やろう」と呼びかけると300人ほどから返事があり、脱原発弁護団全国連絡会を立ち上げ、もう一度、日本全国の原発運転差止裁判をやろうということになった。いま、ほぼすべての原発に差止裁判を行なっている。
 しかし裁判は、始めたときと判決のときしか報道されず、なかなかみなさんに知らされない。そこで「原発のこと、なぜやめなければいけないか」がわかる映画『日本と原発』『日本と原発、4年後』を連作した。まだの方は、ぜひ見てほしい。映画を見た多くの人たちから、異口同音に「危険はよくわかった。でも電気はどうするの」と聞かれる。それではと、世界の自然エネルギーへの流れがわかる続編『日本と再生』をつくった。
 3・11以降、みなさんといっしょに大飯原発差止の本訴、高浜、伊方仮処分をやり、伊方広島裁判では差止め高裁判決をかちとった。負け続きだったのから、勝つ裁判もできてきた。
 なぜ広島、長崎だったか
アメリカは、なぜ広島・長崎に原爆を落としたか。アメリカは世界に先駆けて原爆を使い、その威力を世界に見せたかったということだ。ヨーロッパでは使えないから、日本しかない。ソ連の参戦前に日本を降伏させる。戦後世界の軍事的支配権のため、原爆の開発はぎりぎりだった。日本が早く降伏すると使えない。「天皇制、国体護持」をちらつかせ、戦争を長引かせる画策もした。広島でなければという必然性はなかったと思う。焼け残っていた都市として選択したとのが事実だろう。アメリカは、いまも反省していない。「降伏させるには原爆使用しかなかった。それにより日本の敗戦を早め、多くのアメリカ兵の命が助かった」と言う。オバマ元大統領は「核なき世界」を言ったけども、明示の内容はない。
原爆の恐怖、悲惨は、きょうの被爆者のお話でも痛感できた。しかし、いまや核兵器は広島の何10倍、何百倍の威力を持つ。それが核兵器の世界標準だ。だからこそ、ヒロシマ・ナガサキを世界に発信、伝え続けなければならない。
 原爆開発、製造から始まった
そして原爆から原発の開発は、どのようにおこなわれたのか。原理的には、瞬時に核分裂を起こさせるか、それを押さえながらゆっくり分裂させるかだけ。原発とは「核分裂」の巨大なエネルギー、その高熱で蒸気を発生させタービンを回す巨大な装置である。重要なのは、はじめに原発があったのではなく、まず原爆が開発、製造された。その派生的な技術で「原子力発電」ができた。しかも原理、根本は同じであり、原爆と原発を別物という認識は誤りだ。
アメリカは原爆を独占しようとしたが、ソ連も戦後いち早く原爆をつくった。そこでアメリカは、核兵器は一部の「大国」で独占しながら、核兵器は持たせない代わりに原発技術は認めるという世界戦略を示した。いわゆるアトムズ・フォー・ピースだった。「平和のために」核を使おうとしたわけではなく、冷戦の下で自由主義陣営をつなぎとめ、核兵器だけでなく核産業で経済的な「発展」を独占しようという目論見があった。
 原爆と原発は技術的にも、歴史的にも表裏一体だ。だから「原発には関心があるが、原爆のことはしらない。原爆、核兵器には反対するが、原発には関心がない」というのは、事の1面になってしまう。原発にも原爆にも反対し、なくさなければならない。いま残念ながら、そうなっていない。
反核(兵器)と反原発の運動の違いは何か。本当は一体であり、共同してしかるべき。表現が難しいが、大国・保有国への核軍縮は難航していても、反核運動が敵視されることは、あまりない。反核運動には、概ね共感がある。
反原発運動は悪意に囲まれる
ところが反原発は、共感もあるが無視、悪意、敵意、憎悪にも囲まれる。「原子力ムラ」という、推進する巨大な勢力があり、凄まじい示威、利権構造がある。政府、それに結びつく経済界、投下した資本や巨大な設備を有する電力会社、そこに従う科学・研究、マスメディアがある。これらは、日本の社会の7割以上を押さえているのではないか。だから反・脱原発に敵意や憎悪が向けられる。
 そこが、本来は一体であるはずの運動がつながらない社会的構造になっている。それを感じる反核運動は、なるべく反原発運動と交わらないようにしてきた。もちろん両方やってきた人たちも多いが、基本的にそういう構造がある。20年ほど前に、ある集会で原発問題を話したことがあるが、労組から動員された人たちが退屈そうに聞いていた。いまは克服されつつあるが、敵は一体なのだから、こちらも共同しなければ。
 「いまだけ、金だけ」の原子力ムラ
みなさん、「なぜ再稼働が止まらないのか」と思うでしょう。「いまだけ、金だけ、自分(の会社)だけ」というのが原子力ムラだから。電力会社は、とくにそうだ。核燃料は余っているが、原発を化石燃料その他に置き換えると年間500億円の差が出る。関電は再稼働までの5年間、無配、ボーナスほとんどなし、債務超過、無能経営と謗られた。福島の後さすがに「総懺悔」の雰囲気だったとき、自民党の石破さん、読売などが「やめてはいけない。核兵器開発の潜在的能力を維持する」と言った。政権の腹黒い部分は、常にそう言ってきた。
それまで国民は、「安心、安全、安い、CO2を出さない」キャンペーンに慣らされてきたが、福島の大事故で「原発は危険」となったとき、こういう発言がむくむくと出てくる。ここにも原爆と原発の関係が明らかだ。しかし日本は核実験できる場所もない、不拡散条約すら吹っ飛んでしまう。それなのに、手放したくないという政権だ。途上国などに、コストを無視し原発を輸出しようとしているのはロシア、中国だけ。他はコストが上がり過ぎ破綻している。
 隠される健康被害
いま福島原発で深刻な問題は放射線による健康被害、小児甲状腺ガンの増加。小児甲状腺ガンは100万人に1人、2人という非常に稀な病気。ところが福島で18歳以下、約36万7千人を調査したら、最初は50人、100人、いま200人を超えた。比較すると何百倍だ。福島事故との因果関係は明らか。しかし、政府や県はさまざま理屈をつけて認めようとしない。いちばんの理屈は「過剰な検査による」としている。多少の差異はあるかも知れないが何10倍、何百倍というのは説明できない。県や政府は「因果関係があるとは言えない」とし、「ない」とは言いきっていない。因果関係を認めた判例もない。こういう言説で「怖くない、再稼働も可」という方向に導く。原子力ムラは、「原発安全神話」は崩れたから、今度は「放射能安全神話」に導こうとしている。スリーマイル、チェルノブイリ、JCO、福島第1の大事故が起きてしまった。それなら「起きても大丈夫だ」にしようと。ガンが見つかった子どもたちや母親は、「風評被害を広げるな、復興が遅れる」という圧力に声をあげられない状態に置かれている。県に情報開示を求めてもまったく出さない。それで3・11甲状腺ガン子ども基金をつくり支援を呼びかけ、いま132人が名乗り支援を受け相談を続けている。
 どうして被害者が差別され、声をあげられないのか。それは「福島事故で健康被害はなかったことにしよう」という政策の裏返しにあるから。
 原発は自国に向けた核兵器
原発は核兵器と表裏、自国に向けられた核兵器と言ってもいい。原発1基を1年間動かすと、広島原爆の1000倍の放射能を持つ使用済み燃料が出る。何かの要因での事故やあるいは他国から通常ミサイル攻撃が行なわれると、拡散される放射能は核兵器以上になる。あえて言うと「国防上も最も危険なもの」を50カ所以上もつくっている。私は北朝鮮や民族を差別するつもりはないが、ミサイルを理由とする原発事故、災害を想定した差止訴訟も起こした。
 福島事故がまったくどう推移、収束できるのかわからないとき当時の管首相は、原子力委員会のトップ、東大教授の近藤氏に「このまま最悪の事態を迎えたらどうなるのか」と、シュミレーションを依頼した。結果は「最悪の場合、250キロ県内は強制または任意退去になる」だった。東京を含む日本の中枢部が壊滅する、それくらい恐怖の事故だった。近藤氏がいちばん怖れたのは、使用済み核燃料プールの水が洩れメルトダウンすること。たまたま偶然により4号炉のプールは水を維持できた。原発事故は国、社会を滅ぼす。地震国の日本は、その確率が格段に高い。地震の多さは世界の面積比率で130倍だ。伊方原発が事故を起こすと、瀬戸内海は全滅する。
 広島・長崎は、訴える権利と義務がある
そうさせてはならない。自然エネルギーは世界の流れだ。環境だけではなく経済的にも大きな問題になっている。風力、太陽光などで海外、中国にもはるかに遅れている。新規の原発建設などコスト面でも論外だ。安倍政権は原発輸出を目論んだがベトナム、トルコ、イギリスとすべて失敗した。「安全基準」が高くなり、コストが釣り合わなくなったから。世界は大きく原発衰退に向かっている。しかし、安心して反対運動をしないで待っていてはダメ。その間に事故が起こったらお終まいだ。
 核兵器は人間の本性に対立する。広島・長崎、みなさんは世界に訴える権利と義務がある。同時に、原発をやめろと運動していこう。私は原発をとめるために、生涯をかける。(要旨・文責/事務局)

会場の様子 河合弘之