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2021年8・6ヒロシマ平和の夕べ
(以下2021 年8月6日、要旨/文責/見出しとも、「平和の夕べ」事務局)
■平和講演 「核の語られ方」の転換 核禁条約と「黒い雨」判決
田井中 雅人さん 
田井中 雅人さん 被爆、核被害を低く見積もる
「黒い雨」訴訟など、なぜ国は被爆と被爆者の範囲に「線引き」をするのか。広島・長崎原爆 投下後、米軍とマンハッタン計画の学者らによる合同調査委員会が広島、長崎に入り、放射線の 被害、影響を調査、ABCC(原爆被害調査委員会)に引継いだ。生き残った被爆者に脱毛、紫斑、 下痢、倦怠感、発熱などさまざまな急性症状が現れた。爆心に近いほど多く、2キロくらいから 減少していく。ABCCは脱毛と紫斑の2症状だけを「被爆による急性症状」と定義づけた。3キロ 、5キロ離れた多くの被爆者にも、下痢、出血、倦怠感などの症状が出ている。しかし、2症状 がその後の基準づくりにされた。
 これらの問題について中川保雄さん(神戸大・科学史研究者、故人)の研究がある。「放射線 被曝、防護の基準は、核・原子力を開発する側がヒバクを強制される側に、やむを得ない、がま ん受忍するものと思わせる科学的装いを凝らした社会的基準である」(要旨、注:『放射線被曝 の歴史』中川保雄著/2011年増補版、旧版1991年)。アメリカ、米軍は原爆の被害、残 留放射能の影響をできるだけ低く見積もりたかった。
ヒバクを強制する側の基準
 戦後、国際放射線防護委員会(ICRP)が作られ、核開発や原水爆実験による放射線被曝を強制 する側から、「平均的な人は耐えられる」「何キロ以内、何ミリシーベルト以下を基準」として きた。
 福島原発事故の後、年間1ミリシーベルトだった一般の人の基準がICRPの勧告を受け20ミリと された。行政が数字を出し、専門家とされる人が論文に、また行政が取り入れる。それが目安と され、「帰還政策」になっていく。
 福島原発事故の際、放出された放射性物質は大気中、海中に拡散し太平洋全域、アメリカにも 届いた。事故直後に、東北沖に展開した空母などから救援物資を運んだ米軍の「トモダチ作戦」 では、多くの兵士がヒバクした。甲板作業の兵士はもちろん、多くの乗組員が強い外部、内部被 曝を受け、何カ月もたって体調を崩した。少なくとも9人が亡くなっているが、ほとんど報道さ れない。米軍は14年に報告書を出し、「黒い雨」と同じ論法で「相当する線量ではない」と線引 き、切り捨てている。
「栄光の歴史」 ハンフォード
 福島ではアメリカのハンフォードをモデルにした「浜通り復興計画」が持ち上がっている。米 西海岸のハンフォードには、長崎に投下した原爆のプルトニウムを作った原子炉があった。80年 代まで使われ、長崎原爆7千発分のプルトニウムを量産した。いまは博物館になっている。 周辺は緑ゆたか、ブドウ畑が広がりワインも作られる。研究機関、原子力産業、廃炉ビジネス が集結し、観光客が集まる。一見、すごくきれいな町起こし。博物館のガイドが、きのこ雲をあ しらったポロシャツを着ていたり、レストランにはアトミックエールというビール、高校のスポ ーツチームがボマーズ(爆撃隊)とか。
「ここで作った原爆を長崎に投下し、戦争が終わってよかったね」。科学者も人々にも、栄光 の歴史になっている。しかし、「黒い雨」「トモダチ作戦」のように、線引きの外に多くのヒバ クシャがいる。
 プルトニウム生産による高濃度廃棄物もまったく処理できていない。タンクに入れ地中に埋め ているが、漏れ出している。川、農地も汚染された。先住民族の人たちは野草やコロンビア川の サーモン、川魚を食べて生活してきた。戦後生まれ、お父さんが技術者だった女性は、子どもの ころコロンビア川で遊び泳いだ。10代後半から甲状腺ガンや流産を経験する。30年余り「病気だ らけの人生」と、裁判に訴えてきた。
 裁判所は、「あなたたちは、広島・長崎の被爆者が受けた線量よりもはるかに少ない。因果関 係は認められない」と退ける。政府や核産業は、「自然界にも放射能はある」「ガンは多発して いない」という対抗研究を行ない、「あなたのガンはタバコのせいでは。家系由来かも」など自 己責任論を持ち出してくる。
禁止条約不参加は保有への担保
「核は毒じゃない。大げさなものではないよ」という歴史と状況に対抗できる内容を、核兵器 禁止条約は持つ。「ヒバクシャと核被害者の受け入れ難い苦痛を心に留める」と前文に書いた 。「核は悪、毒、非合法、非人道」と規定した。軍縮の枠を越えた人道、人権条約である。 核兵器禁止条約は「核の語られ方」との、たたかい。第1条に、核兵器の開発、実験、製造、 保有、配備などを禁止した。使用の威嚇、支援、奨励は、アメリカの核の傘に依拠し、開発を放 棄していない日本に関係する条項でもある。条約は、それらを禁じている。第6条、被害者支援 と環境改善は、広島・長崎・福島の被害者の救済、汚染された太平洋の環境改善という、まさに 日本の役割となる。一方、化学兵器、毒ガスなどのように検証が、まだ規定されていない。日本 は、今後開かれる締約国会議にオブザーバーでも参加するべき。
 アメリカの核被害者も、禁止条約の成立に熱心に活動した。ハンフォードもそうだが、じつは アメリカは「ヒバク大国」。マンハッタン計画の核施設は全米に広がり、1950年代はネバダ 砂漠で核実験が繰り返された。アメリカ政府は、「核実験は危なくないよ。きのこ雲を見よう」 とプロパガンダを展開した。
 多くの「風下のヒバクシャ」がいる。ユタ州セントジョージに住む女性は、お母さんのお腹に いたときにヒバク。西部劇のロケ地も汚染され、多くの映画関係者がガンで亡くなっている。「 高齢化により被爆者、被曝者がいなくなっていく」と言われるが、なくならない。「風下の町」 では子どもや孫、3世、4世に甲状腺ガンや流産が多発する。足もとのヒバクシャは、「自分た ちよりも、次の世代に影響が大きい」と国際会議で証言している。
 日本は、何をしてきたか。17年、核兵器禁止条約の交渉会議をボイコットした。その前の、交 渉会議に向けた会議でも、アメリカに言われるままに反対に投票した。
「核の論理」に終止符を打つ
 アメリカ、ABCCが、「爆心から2キロ以内の急性症状以外は被害を認めない」とするのは、な ぜか。原爆・核兵器が、「無差別、残虐な兵器を禁止する」ハーグ陸戦条約違反とされては困る 。「内部被曝とか、遺伝的影響はない」、単に「熱線や爆風で死ぬ」としないと戦争犯罪になっ てしまう。「2キロ以内にいた人にしか起きない被害」という基準、論理にしたかった。
核兵器禁止条約は、それを崩してしまう条約である。
 日本は、「必要最小限であれば、(保有は)必ずしも憲法の禁止するところでない」(16年、 閣議決定)としている。原発は、原爆の材料を作る装置。プルトニウムを保有し、ミサイルに転 用するロケット技術もある。表向きは、もちろん平和目的。しかし、条約に参加すると核兵器を 作れなくなる。「潜在能力は保持しておきたい」。
アメリカのヒバクシャ、ハンフォード、トモダチ作戦も、黒い雨と同じように「広島・長崎ほ ど被爆していない」と切り捨てられ、「毒、悪い」と言わせないようにされてきた。「黒い雨」 判決に、菅首相は「受け入れ難い部分もある」とコメントした。「科学的、合理的知見がない。 個人差がある」とか、同じ理屈である。
 この論理、基準の押しつけが、「放射線ヒバクの歴史」だった。しかし、核兵器禁止条約、「 黒い雨」判決の確定は、科学的とされてきたことが、じつはヒバクの過少評価、押しつける側の 論理だと明らかにした。「核の語られ方」を変える、転換点になる。 (要旨・文責/事務局)

会場の様子
■ 「30年で廃炉 あり得ない」 2021年 平和の夕べの発言から(要旨抜粋)
●黒い雨の恐ろしさ訴え
高東征二さん(黒い雨訴訟を支援する会)
高東征二さん  あの時、爆心から西へ9キロ、母といっしょに広島の空を見ていた。雨が降り出し、軒下におり雨に濡れた記憶はない。小学校2、3年のころ手足に出たデキモノがなかなか治らなかった。わきの下や鼠径部のリンパ腺が腫れ3回も切開してもらった。近所に、朝からごろごろし、おかしい人が何人もいた。お金がなく、病院にも行けない。
 02年に「佐伯区黒い雨の会」を結成した。多くの人が、「病気だらけの人生」を語った。「科学的・合理的な根拠」というのは、私たちを拒んできた言葉。国は、これをタテに「放射線量がわからない。被爆者と認められない」と訴えを否定してきた。
 15年に県と市に被爆者手帳を求め提訴した。国は大雨、小雨地域と線引きし地域や線量で分け、大雨地域のみ認定した。私たちは内部被曝を正面に掲げた。7月29日に勝訴が確定した。もう1日も待てない。黒い雨被爆者に一刻も早く手帳を交付してほしい。ビキニ、福島、すべての内部ひばく被害者のために、黒い雨の恐ろしさを訴え続けたい。

●福島10年 三つの難事
伊東達也さん(元の生活を返せ いわき市民訴訟原告)
伊東達也さん  原発事故から10年、福島は三つの難事に置かれたままだ。避難指示が出た12市町村では、多くの戻れない、戻らない人がいる。県の発表でも平均居住率は新規転入者を含め約54%。90%を超える市町も2、3あるが、50%以下、10%、20%台、大熊町、双葉町のように1桁、ゼロ%すらある。とくに若い人、子どもたち。小中学校の通学者数を見ると多い広野町、川内村で約47、46%。10%台が多い。双葉、大熊はゼロ、全体ではわずか9・7%にとどまる。
 農業がどれくらい再開できているか。農地面積で見ると平均で約32%、軒並みに50%以下、双葉、大熊はもちろんゼロ。沿岸漁業は、県全体で17・5%しか回復していない。それなのに政府・東電は、トリチウム汚染水を海洋に放出しようとしている。
もう一つは、すでに10年過ぎた「廃炉」問題。溶融した炉心デブリ取り出しの困難とともに、格納容器の上蓋に桁違いのセシウムが付着していることがわかった。30年、40年で廃炉が終わることなど、常識的にあり得ない。18年に、野党が共同し原発ゼロ法案を提出したが、一度も審議されていない。
 ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマは、「核と共存できない」と結ばれている。

●非核 政治へ直接行動
中村涼香 高橋悠太 徳田悠希さん(KNOW NUKES TOKYO)
KNOW NUKES TOKYOさん  私たちは広島、長崎、東京出身者も。おもに東京、首都圏で活動しています。東京にも多くの被爆者が在住しています。いま、核兵器禁止条約をどう周知するか。世論調査では、7割の人たちが日本政府に参加を求めています。ところが、議員ウォッチという活動もやっていますが、国会議員の賛同はわずか28%。それなら議員に直接面会し意見を聞こうと、議員ウォッチ・プロジェクトを立ち上げました。
 核禁条約は被爆者、世界の被害者の苦しみ、思いを形にし、普遍化しています。この条約に向き合うことは、そもそもの日本の戦争責任を問うことにもなります。きょう菅首相は、大切なところを読み飛ばしましたが、そういう姿勢こそが問題です。
 東京にいると、これらの問題が「安全保障、国際関係」とか、非常に無機質に語られていると感じます。ここを変えていく。議員であれ誰であれ、直接会って話すことが大切だと考え、行動しています。