2023年
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平和講演平尾直政 「私たちの声を聴いてください~いまは亡き被爆者たちのメッセージ」「体験引き継ぐ灯に」
 原爆小頭症は、あまり知られていない。爆心から1・2キロ以内の近距離で妊娠初期(2~4カ月)に母親の体内で被爆し、胎内で脳などが形成されるときに強力な放射線を浴びたことが原因で発症する原爆後障がいの一つ。頭が小さいことなどに特徴があり、脳と身体に障がいを持って生まれてきた。
 小頭症の子どもは63人いたとされている。現在存命中は12人。少ないのは、母親が被爆死したり、死産や生まれてすぐに亡くなった人が多かったため。奇跡的に生き残こり、生まれたのが63人だった。その体験を引き継ぐ「灯」になり、活動を続けていきたい。
被爆証言森下 弘 「核は、存在そのものが許されない」
 旧制中学3年生、14歳のとき。8月6日8時15分、この日は朝から太陽がギラギラ輝いていた。約70人の生徒たちが鶴見橋付近(爆心から1・5キロ)に整列し、作業の指示を受けていた。その瞬間に原爆が炸裂した。巨大な溶鉱炉のなかに投げ込まれたような感じだった。何も覚えていない。吹き飛ばされたのだと思う。気が付くと、川の中に入っていた。生徒の一人は、額や手から皮膚がズルッと剥け、ボロ雑巾のように垂れ下がっていた。なんとか対岸の比治山に登り、市街地をみると何もかも無くなっていた。
福島から鴨下美和 「未来への警告」
 福島第一原発事故後に、いわき市から神奈川、東京へ。いわゆる避難区域外避難者(「自主」避難者)です。その中で、さまざまな分断と差別を受けてきました。「逃げても地獄、残っても地獄」。この12年間、心から笑ったことはありません。
福島原発被害東京訴訟の原告になり、東電と国の責任を問い続けています。「核の被害」は、原爆も原発も同じ。すべての核を廃絶するまで、ともに歩みます。
若い世代から横山栞央 「次世代に伝える広島の過去と未来」
 市立基町高校を卒業、いま大学3年生。基町高校生は、被爆者から証言を聞き、被爆体験者ととともに一つの絵を描き、残していく活動をおこなってきました。私は、小倉桂子さんの被爆体験談から、『ケイコの8月6日』という紙芝居を描きました。原爆を体験していない若い世代が、その体験を次世代に伝えていくことの大切さを思っています。

2022年
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平和講演三宅俊司 「沖縄と広島・長崎、どう向き合うか」
 広島は「父を返せ、母を返せ」、沖縄は「命どぅ宝」、それは一つと思っていた。いまは、違うのではないかと思う。広島も含め日本は、沖縄を犠牲にして成り立っていたのではないか。差別、構造的差別と言われる問題をあらためて認識していかなければ。沖縄は日本の「非核3原則」の隠れ箕に使われてきた。「復帰」前、1300発の核爆弾、ミサイルが置かれていた。1959年には米軍が誤発射している。いま新たにミサイル防衛群が作られ、琉球列島は再び戦場にされる危機にある。まさに「軍隊は住民を守らない」。(広島市出身、被爆2世。沖縄弁護士会)
被爆証言小倉桂子 「あの光景を世界へ」
 海外の人たちに広島の被爆を伝えてきた。海外、欧州の核問題にかかわる人たちの多くは、当時から原爆と原発を一つの問題として捉えていた。1983年、ニュールンベルグで反核模擬法廷が行なわれた。法廷で被爆者が証人に立つ。それを契機に平和のためのヒロシマ通訳者グループを立ち上げた。(広島市生まれ。8歳のとき被爆)
福島から福島敦子 「被ばくから逃げる権利」
 南相馬から京都へ避難。伊方広島裁判原告、京都訴訟原告団などにかかわっている。原発事故の場合は「静かに投下された原爆」でしょうか。広島にきて「あなたたちは被曝者だよ」と言われたことが心に残る。とくに子どもへの影響は多い。黒い雨裁判の勝訴に励まされた。「誰も責任をとらない原発」の実態を追及したい。
子ども脱被ばく裁判から水戸喜世子
 昨年、黒い雨訴訟が勝利した。その原告の人たちが被爆したときと、福島の子どもたちとは同じ年頃。小中生が原告になっている。原告資格を失う来年3月までに判決をかちとりたい。

2021年
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平和講演田井中雅人 「核の時代を終わらせるために」 (朝日新聞記者、広島・長崎、世界のヒバクシャや核禁条約の動きを取材。「黒い雨判決の確定、禁止条約は『核の語られ方の転換になる』と話した。
被爆証言高東征二 「ビキニ、福島、すべての内部ひばく被害者のために、黒い雨の恐ろしさを訴え続けたい」。(黒い雨訴訟を支援する会事務局長)
福島から伊東達也 「原発事故から10年、福島は三つの難事にある。戻れない避難指示地域。営農再開も平均約3割(面積)。デブリの困難、上蓋に桁違いのセシウム、30年、40年で“廃炉”など、あり得ない」。(元の生活を返せ、いわき市民訴訟原告)
KNOW NUKES TOKYO ほか 「核禁条約は被爆者・世界の被害者の苦しみ、思いを形にし普遍化した。この条約に向き合うことは、無機質な言葉“安全保障”や、日本の戦争責任をも問うこと」(広島・長崎、東京出身の学生たちから)

2020年
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平和講演森 達也 「核を持ってしまった世界を問う」 (映画監督、ドキュメンタリー作家。「広島・長崎は終わらない。世代を超え世界へ伝えるべき」)
被爆証言早志百合子 (9歳のとき、爆心地から1.6キロの比治山町で被爆。13年『「原爆の子」その後 』を出版した)
沖縄から仲村未央 (“本土復帰”の72年、沖縄市・旧コザ市生まれ。沖縄県議。琉球新報記者時代に基地問題、日米地位協定などを追った。コロナ状況によりメッセージ)
歌と演奏岡内章二郎 (広島原爆被害者の会・二世部会副会長。「核兵器廃絶・平和、自然大切さ」を草笛で伝える)
原発事故を考える樋口英明(83年、判事補任官。12〜15年福井地裁判事。14年、大飯原発運転差し止め、15年高浜3・4号機の再稼働差し止め判決を下した)
福島から
被ばくと人権
宇野朗子(71年生まれ。福島原発事故により京都府へ避難。「避難の権利」を求める全国避難者の会共同代表ほか)
鴨下全生(17歳。8歳のとき原発事故、いわき市から東京へ避難。偏見、差別、いじめに会いPTSDに苦しむ。19年バチカンでローマ教皇に面会。東京で再会、事故被害の実情を訴えた)
まとめ米澤鐵志 (広島・電車内被爆者、コロナ状況により欠席)
コーディネーター河野美代子(広島被爆二世 産婦人科医)

2019年
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平和講演河合弘之 (『ヒロシマ、フクシマ、原発再稼働』 脱原発弁護団全国連絡会・共同代表、伊方原発運転差し止め広島裁判・弁護団長)
被爆証言切明千枝子 (県立第二高女4年生のとき被爆、校庭で多くの下級生を荼毘に付した)
沖縄から高里鈴代 (基地・軍隊を許さない行動する女たちの会、島ぐるみ会議・共同代表)
うたと演奏setomayu (被爆証言プロジェクトに参加、歌 “Colorful World”ほか)
福島、被爆・裁判水戸喜世子(子ども脱被ばく裁判・西日本共同代表)
阿部ゆりか(福島避難者・高校3年生)
まとめ米澤鐵志 (広島・電車内被爆者)
コーディネーター河野美代子(広島被爆二世 産婦人科医)

2018年
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平和講演小出裕章 (『原発・核と戦争を推し進める愚かな国、日本』著者、元京都大学原子炉実験所助教・原子核工学)
被爆証言李 鐘根 (イ ジョングン 16歳のとき、広島駅近くで被爆)
沖縄から安次富浩 (ヘリ基地反対協議会共同代表)
福島から渡部美和 (福島原発ひろしま訴訟原告団代表)
うたと演奏松浦美喜とnancy channel with friends
アピール伊方原発広島裁判原告団・小田眞由美
森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団・代表)
川口真由美(シンガー・ソングライター)
まとめ米澤鐵志 (広島・電車内被爆者)
コーディネーター河野美代子(広島被爆二世 産婦人科医)

2017年
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平和講演永田浩三 (『ヒロシマを伝える~四國五郎と原爆の表現者たち』著者、元NHKプロデューサー)
被爆証言小野瑛子 (6歳のとき被爆、父、妹を失う)
福島から大塚 愛 (福島から岡山へ避難、岡山県議)
歌と踊り川口真由美(シンガー・ソングライター、『悲しみから生まれた平和への道』など)
まとめ米澤鐵志 (広島・電車内被爆者)
コーディネーター河野美代子(広島被爆二世 産婦人科医)

2016年
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開会あいさつ久保田圭二(広島被爆者 元レストラン「リゾート」オーナー)
あいさつ松本 正 (広島被爆者 横浜市在住)
平和講演那須正幹 (児童文学作家 広島被爆者)
コーディネーター河野美代子(広島被爆二世 産婦人科医)
リレートーク 池田精子 (戦後の被爆者運動)
森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
「福島の現実と向き合う。広島、長崎の被爆者の存在と運動は大きな支え」
中村周六 (浄土真宗本願寺派僧侶・釈尊正)
ピアノ演奏古川悦子

2015年
(被爆70年)
開会あいさつ秋田明大(自動車整備工 広島被爆二世 呉市在住)
平和講演秋葉忠利(前広島市長)
「核廃絶は、実現できない夢ではない。生きることすら絶望的だった被爆者が3度目の使用を防ぐ力になった。ヒバクシャの抑止力を劣化させない」
広島から河野美代子(広島被爆二世 産婦人科医)
沖縄から川崎盛徳(元沖縄県読谷中学校校長)
リレートーク 米澤鐵志(広島 電車内被爆者)
小林圭二(元京都大学原子炉研究所講師)
ピアノ演奏&歌
広島から藤田真弓(「オペラはだしのゲン」より)
松本寛美(ピアニスト)
沖縄から津波勇雄(ピアニスト 読谷村在住)
仲間直美(ピアニスト 那覇市在住)
川崎盛徳

2014年
平和講演落合恵子(作家)
コーディネーター河野美代子(広島被爆二世 産婦人科医)
被爆ピアノ演奏三浦裕美(ピアニスト)
リレートーク朴 南珠 (パク ナムジュ 在日韓国人被爆者)
水戸喜世子(『原発は滅びゆく恐竜である』~水戸巌著作・講演集~編著者)
福島から日塔マキ(「女子の暮らしの研究所」代表)

2013年
平和講演今中哲二(京都大学原子炉実験所助教)
コーディネーター河野美代子(広島被爆二世 産婦人科医)
被爆ピアノ
トーク矢川光則(ピアノ調律師 ヒロシマ被爆二世)
演奏三浦裕美(エリザベト音大ピアノコース卒業 1988年、第38回全日本盲学生音楽コン クール第2位入賞)
紙芝居宮崎謙一(長崎被爆者)
*8月7日 被爆電車運行(米澤鐵志さんの証言を聞く)

2012年
平和講演小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)
司会河野美代子(広島被爆二世 産婦人科医)
三代目春駒(ミュージシャン「その男ヨシオ」を歌う)
トーク近藤紘子(広島被爆者)
講談神田香織 (講談師 いわき市出身「講談 はだしのゲン」を公演)
 「中沢さんは、『いまでも、原爆で死んだ弟を思い出し、夜中に飛び起きるんだ』といわれました。 血みどろの体験を踏み台に、『みんなに生きてほしい』と。 それにしても福島事故への対応、日本という国に、ぞっとします」(談)
*8月7日 被爆電車運行(米澤鐵志さんの証言を聞く)

2011年
平和講演中沢啓治(広島被爆者 漫画「はだしのゲン」作者)
インタビュアー河野美代子(広島被爆二世 産婦人科医)
司会中村周六(浄土真宗本願寺派僧侶 釈尊正)
リレートーク草薙順一(弁護士)
小林圭二
「原子力はアラモゴード、広島・長崎の3発の原爆から始まった。平和利用はその側面に過ぎない。(福島事故は)化けの皮がはがれ、ヒロシマ・ナガサキに戻った」
早苗 ねね(「サヨナラ戦争」~憲法9条を歌う)
*8月7日 被爆電車運行(米澤鐵志さんの証言を聞く)

2010年
(被爆65年)
平和講演高 史明(コ サミョン 作家)
          「ヒロシマ、ナガサキに至るおびただしい犠牲の歴史。近代合理主義は原爆に行きついた。日本人民がこうれにどう向き合ってきたか、これからどういう態度をとるのか」
司会河野美代子(広島被爆二世 産婦人科医)
リレートーク池田精子(広島県被団協副理事長)
「ケロイドが酷く心にも深い傷を負った。死んだ方がよかったと親に当り散らしたが、父親の愛を受け生きた。生きている間に核廃絶を」
知花昌一(沖縄読谷村議会議員 反戦地主)
*8月7日 被爆電車運行(米澤鐵志さんの証言を聞く)

2009年
平和講演河野美代子(産婦人科医 広島被爆二世)
司会上原 公子(前 国立市長)
ピアノ演奏池辺 幸恵
映像ヒロシマを忘れないために
空襲の地より青木 忠(「瀬戸内の太平洋戦争 因島空襲」著者)
リレートーク米澤鐵志(広島 電車内被爆者)
三浦 翠(原発いらん!山口ネットワーク)
小林圭二(元京都大学原子炉研究所講師)
*13:00~平和公園・資料館案内(廣島二中生の弁当箱紹介)
*8月7日 被爆電車運行(米澤鐵志さんの証言を聞く)

2008年
(反戦平和研究集会として出発)
平和講演米澤鐵志(広島・電車内被爆者)
「百雷のような轟音。電車の窓ガラスはすべて壊れ、辺りは真っ暗。地獄のような惨状だった」と話し、朝鮮人被爆者、日本の戦争責任に言及、核兵器廃絶へ民衆の運動を広げようと訴えた。
今中哲二(京都大学熊取原子炉実験所)
立山紘毅(山口大学)ほか